心がつかれきってしまったとき、ビタミン剤になる、そんな一冊です。
簡潔な言葉に集約された、美しい人生へのメッセージ。困難な人生を生き抜いた彼だからこそ辿り付けた、円熟とも言える人生賛歌。
夢に自信が持てなくなったとき、自分に自信が持てなくなったとき、将来を悲観する時、辛い時にこそ手にとって貰いたい一冊。
その時、逃げる事ではなく、闘い続けることの大切さを教えてくれます。 いつまでも若さを保つ秘訣がすべてこの中に。”青春とは、心の若さである。”そのタイトルの持つ説得力と、表紙に使われている心が洗われるような”青”に惹かれて、半ば吸い寄せられる様にこの詩集を買った。作者サムエル・ウルマンは、ユダヤ人である。彼の生きた年代から察するに、ユダヤ人として迫害され、相当につらく、厳しい半生を送ったことは、想像に難くない。それなのに、彼の紡ぎだす言葉はどこまでも深く、希望に満ち溢れ、人間の”善”を信じ、明るい。タイトルに代表される”青春”という名の詩。人間は、ここまで強く、そして老年まで人生を楽しく生きることができるのであるという証が、この本には詰まっている。19歳の時にこの本を手にとって以来5年が経った。この先私が生き続ける限り、この本はいつまでも、座右の書となってくれるであろうことを確信している。
今回は、最低でも十数年ぶりに第二部から読んでいるのだが、実に面白い。随所に人生の知恵が隠されている。まだ、それらをきちんと自分の文字として、まとめるには自分の筆力があまりにも足りないのだが、くすくす笑ったり、現代との接点のあまりの深さに鳥肌立ちながら、読んでいる。実によい読書体験だ。うれしい。 人間は何も知ることはできない「私がついに知ったことは、人間は実は何も知ることが出来ないということだ。」と言い、悪魔と生きることを選んだファウスト博士。
彼はその後、恋をし、老人の家を焼き、その人生を謳歌する。その第2部は音楽のような旋律であり、一貫した何かを語りたいというよりは、人生というものの無常たるところを楽しく唄っているように見える。
さて、このファウストに家を焼かれたフィレモンという老人に、後の心理学者のユング博士は、自らの心の分身にその名前を授けた。ファウストは間違いを犯す、間違いを犯さざるを得ない。間違いを犯すこととは、生きることに他ならず、それは悪魔の嘲笑するところである。
彼がその間違いだらけの人生にそれでも美しいと言うのならば、賭けは悪魔の勝ちである。冒頭で世界に絶望し、決してこの言葉を口にする筈のなかったファウスト博士が、終にその世界を素晴らしいと認めてしまう。
「とまれ。全て(あなたは)は美しい。」
この瞬間に、悪魔は賭けに勝利したにもかかわらず、神を裏切った筈のファウスト博士は、神の手助けで昇天する。何という意味不明な最期なのか。
興味深いことを言えば、人生とは全て苦と説いていた仏陀は、死ぬ直前に自らの最期の食事をふるまった者を祝福しつつ、次のように言った。「人生とは甘美なものだ!」
ファウストが何故神に祝福されつつ昇天するかは、この作品最期にある言葉、「永遠に女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ。」の謎を解き明かさなければ知ることができない。
「西洋と東洋は分けて考えることはできない」(ゲーテ) ファイブスタ−核心をつく第2部。
運命の3女神、灯台守の詩など短詩としても美しい言葉が並ぶ。
運命の3女神のストーリーをベースにした漫画「ファイブスタ−ストーリー」(永野護)も必読。
ゲーテのファウストが難しかった人は手塚治虫さんの「ネオファウスト」を読むと理解できると思う。ただしこちらは執筆中に作者他界。未完に終ってしまった。 可哀想におれという阿呆が・・・ゲーテが幾十年という歳月をかけて取り組んだ大作。おそらく自分にとってランボーがそうであるように、多くの人にとってこの「ファウスト」は読む場所や気分、年齢によって受け取り方や感じ方が変わるものであるのではないだろうか。読めば読むほど味が出てくる、そして年を重ねるごとに新しく出会う個所がある一方でわからなくなる個所も出てくる、そのような書であるような気がする。“哲学も、法学も、医学も、またいらんことに神学までも、容易ならぬ苦労をしてどん底まで研究してみた。それなのにこの通りだ、可哀想におれという阿呆が。昔よりちっとも利口になっていないじゃないか。”この言葉が二十歳の今、最も印象に残った言葉であったが、この先 読み返したときにいったいどのように感じるのだろうか。まったく未知数でであるがゆえに楽しみである。
あなたにとっていい事ばかり言う人だらけならこれを読むといい。 時代がどうあれ、生きていかねばならない 時代はひどいことになっている、という。いや、いつの時代でも、為政者やマスコミ等は、人の感受性を攻撃してきた。 けれども、人は、生きていかねばならない。そして、生きていくなら、感受性だけは、強く、しなやかに。 やむことのない、執拗でいやらしい、感受性に対する攻撃。感受性の曇った人たちが増えた方が都合が良い、という人が、たくさんいるからでしょう。 短い詩だが、座右に置きたい。