カスタマー平均評価: 4.5
dickinsonの詩世界。入門の一冊 1頁目をめくるとemily dickinsonの、おそらく最もよく知られた16歳の時の肖像画が一面に載っている。ドレス姿で髪を後ろに結わえ、特徴ある大きな瞳、少し面長でじっと正面を見据えているあの写真。彼女の詩集は他に思潮社や国文社からも邦訳で出版されていて、やはり幾つかの書籍でポートレイトを確認できるけれど、私はこの岩波文庫に大きく載っている写真が一番好きだ。彼女の書いた詩そのもの…と云える風情/表情をはっきりと確認できる。
dickinsonの詩は一読すると、優しい言葉で非常に難解な事を謂っている様に思ってしまうのだが、私は彼女の特異な語彙は、“対象を出来うる限り紛れなく”…認識しようとした結果なのだと常々感じている。
…この文庫はdickinsonの2000近くに渡る詩作品のうち、厳選された50ほどが載せられた。掲載詩は少ないものの文庫という点を踏まえれば、これでも適当といえるだろう。安価で原文(英語)と邦訳の両方の載った書籍はこれだけのはず。彼女の詩は常に様々な解釈がなされ、今も検討が繰り返されているため、“完璧の邦訳”…は特に至難だと思う。実際に上記複数の出版社から出ている邦訳とはかなり謂い回しの異なる訳がある。読者はこれをキッカケにしてより入り込んでdickinsonの詩を探求するなら、この一冊に留まらないで、ぜひ出ている他の書籍も手にとって欲しいと思う。
余談だが、本文庫には私の愛唱する“わたしは手に宝石を…”が入っていてとても嬉しい。これは深読みをする要はなく、ただただ澄み切った“言葉の光沢”を感じてため息をつくのみ…というもの。これもたしかに彼女の一面である。 初学者向けの良心的な対訳詩集 エミリ・ディキンスンの詩は、うわべは簡潔でユーモラスで凛としていて、女性詩人らしい親近感が湧きそうでもあるわけだが、じつは辛辣にして強靭、解きがたい謎のように手ごわい。
まあ、それが彼女の作品の魅力なんだけど。
ポーやホイットマンらとならんで19世紀のアメリカを代表する詩人なので、訳詩集のたぐいはいろいろと出ている。
岩波文庫の「対訳ディキンソン詩集」は、英語のテクストを独学で読んでみたいと考えている初学者には恰好の手引きとなるのではないかと思う。
収録作品はわずか50篇だが、原詩と訳詩のほかに、懇切丁寧な解説と脚注がついている。
注に関しては、他の解釈もあって迷う個所があるとは言え、まさに痒いところに手が届く感じで重宝する。
もっぱら直訳に徹した亀井俊介の翻訳は、読者に生硬な印象をあたえるかもしれないが、原詩の手ざわりを自然に伝えるものと言えるだろう。
コストパフォーマンスも高い。お勧めします。 本質的な意味での芸術家 エミリー・ディキンソンは、数多くの詩を書いたものの、自らの意志で発表した作品は皆無であることは有名です。これは、彼女が本質的な意味での芸術家であるが為です。
詩は、本来は商業的なものや他者へ見せびらかすものではなく、やむにやまれず、己の内面を自らが吐露する為のものだと思います。
だから、私はこういった彼女の姿勢と、自分の為にこそ書かれたということがひしひしと伝わってくる、作品の陰鬱さが好きです。
何処となくその陰気な作風や生き方に、女性版ナサニエル・ホーソーンのように感じました。
アメリカの作家や詩人には、こういったように、本質的な闇と対峙できるタイプもいるのです。
そしてそういった作家や詩人こそ、私は好きなのです。厳選されたという五十の詩が、英訳と翻訳文に分かれて見開きで提示されているのが、本書の良さですね。自分なりの訳も出来るので。
そういえば、日野啓三さんの『天池』にも冒頭でディキンソンの詩が引用されていたなあ。 Ample make this bed(ソフィーの選択) ●Ample make this bed.Ample make this bed. Make this bed with awe; In it wait till judgment break Excellent and fair. Be its mattress straight, Be its pillow round; Let no sunrise' yellow noise Interrupt this ground. sunrise’ yellow noiseは、世間の喧噪(あるいは世間そのもの)とほとんど同じことを意味している。このnoiseという言葉に対立して使われているのが、excellent and fair な judgementという言葉。 日常的な(=この世の)善悪や正否、名声や不名誉、人間的な幸不幸、そういったもの(これらがnoiseと言われている)を一切超えて(excellent)、世俗的、社会的な偏見や偏りのない公正な(fair)審判が下る。その審判の時空(bed、ground)は、どんなそういったsunrise’ yellow noiseにも邪魔(interrupt)されはしない。 邪魔されはしないことの様相が、眠りの比喩(bed、mattress、pillow)、しかも深い眠りの様相(ample、with awe、straight、round)と共に語られている。 sunrise’ yellow noiseに耳を傾けてはいけない、耳を傾けないように、bedを「ゆったりと広く(ample)」「畏敬の念をもって(with awe)」準備し、「マットをまっすぐに伸ばして(straight)」そして「まくらもまたふっくらと(round)」用意しなさい。そうしてsunrise’ yellow noiseに惑わされないように深い眠りにつきなさい。ディキンソンはそう言っている。 最後のthis ground(=this bed)は、その意味では、アマーストのどこかの墓地を指しているのかもしれない(ディキンソンの詩には、墓地や死を隠喩するものが多い)。曙光に惑わされない墓地の静寂。sunrise’ yellow noiseに惑わされないように(yellowは、yellow sunriseでそれ自体朝日の光を意味するが、キリスト教的には、yellowは、ユダの着衣の色を意味し、臆病、卑怯、精神の退廃などを意味する場合もある)、お墓の中に眠る死者のように深い眠りにつきなさい。ディキンソンはそう言っている。 一方で、bedを周到に用意しなければならないほどに、sunrise’ yellow noiseの誘惑は強い。死者の深い眠りのように眠るすべ(ample、with awe、straight、round)を準備することなしには、真の審判は訪れない。眠るように心を静めること、それが、Excellent and fair な審判が下る条件なのである(そうやって、ソフィーは深い眠りについた。深い眠りのみが、審判を導くかのように深い眠りについた)。ディキンソンはそう言っている。 みなさんも、sunrise’ yellow noiseに惑わされるときには(ほとんどわれわれの日常はディキンソンの言うこのsunrise’ yellow noiseに包囲されているが)、静かに、この詩を暗唱しましょう。こころが落ち着きます。 Ample make this bed. Make this bed with awe; In it wait till judgment break Excellent and fair. Be its mattress straight, Be its pillow round; Let no sunrise' yellow noise Interrupt this ground. ※ついでにこの詩に似た詩一編を選んでおきましょう。 魂は自分の社会を選ぶ ― それから ― 扉を閉ざす ― お偉い多数派には ― もう姿を見せぬ ― 動じない ― 馬車が来て ― 簡素な門の前で ― 止まるのに気づいても ― 動じない ― 皇帝が靴ぬぐいの上に ― ひざまずいても 私は知っている ― 魂が大勢の中から ― ひとりを選び ― それから ― 石のように ― 関心の弁を閉じるのを ― (『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介訳 岩波文庫87頁より) こういう本こそ持ち歩きたい ディキンソンの詩が五十編納められている。 原文の英語を読み、訳を読み、原文をブツブツと音読したりする。本の厚みといい、拾い読みするのに最適な詩であることと言い、いまのわたしにとって、これほど持ち歩くのに良い本はない。訳はわかりやすくて良い。 いつも手もとにあると思うだけで幸せになれる。わたしにとってはそんな本です。
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