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[ 単行本 ]
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院長の恋
・佐藤 愛子
【文藝春秋】
発売日: 2009-01
参考価格: 1,550 円(税込)
販売価格: 1,550 円(税込)
Amazonポイント: 15 pt
( 通常2〜5週間以内に発送 )
中古価格: 1,160円〜
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・佐藤 愛子
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カスタマー平均評価: 5
-毒と笑い- 佐藤文学健在 中高年、老人が主人公の短編集。
佐藤愛子の持ち味が爆発。
笑いと毒。
85歳の精神にこのような力強さが宿っていることに驚く。
傑作は、「沢村校長の老後」。
老人の偏屈さとプライド、
家庭のもつ欺まん、
人間の厚かましさがふんだんに書き込まれています。
その人間描写の確かさとぴりっとくる毒がたまりません。
ラストシーンに笑います。
しかも登場人物それぞれがおかしい。
第一級の文学です。
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[ 文庫 ]
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坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)
・司馬 遼太郎
【文藝春秋】
発売日: 1999-02
参考価格: 670 円(税込)
販売価格: 670 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 375円〜
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・司馬 遼太郎
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カスタマー平均評価: 4.5
ついに旅順陥落。そこには敵も味方もない ついに旅順陥落。
日露両軍の兵士が「負けてもいい。勝ってもいい。ともかくもこの惨烈な戦争がおわったのだ」という感覚を共有したことに鮮烈な印象を受けると同時に、旅順を巡る戦いのすさまじさを想起させる。 旅順攻防収束 児玉の参戦により戦術を大きく転換し、勢いづく日本。
ステッセルの官僚的思考によって、余力を残しつつ降伏に傾くロシア。
それにしてもトップの人の性格や能力が、これほど戦争に影響を与えるものなのか、
っと感じさせる巻です。
日本人論 司馬は、戦争遂行における日本人の行動を見つめながら、ロシア人と日本人の違いをなんども語っている。それはひとつの日本人論の姿となっている。 人災の、滑稽混じりの恐ろしさ。 日露戦争の一つの山場である旅順開城が主に描写されている。
その司令部(乃木希典・伊地知幸介)の無能をフィクションらしく極大化し、それがドミノ式に起こしていく旅順における人災の怖さというものを見事に描き出したという点では、司馬遼太郎の文芸作品の真骨頂であると言えるだろう。
何しろ冗談のように人命が浪費されていく描写の中で、その浪費の責任者達の責任感・緊張感・現実感覚のなさを(フィクション内の事実として)くどいほど書き連ねるのである。
最初はホラー映画も真っ青の戦慄を覚えるのだが、そのうち頬が笑いながらひきつる感覚を覚えた。
能力の劣る上司を戴くという人災の、滑稽混じりの恐ろしさというのは、強烈だった。
そうそう忘れられそうにない。 児玉源太郎物語 3巻あたりから登場の児玉源太郎。
今の主人公は、彼であるといっていい。
書き進むうちに、この輝く人物をほうってはおけなくなったのだろう。
遼陽に戦い、二○三高地を落とし、旅順を攻略。
苦労しながら辛くも勝ち進む日本と同時に
バルチック艦隊の長く苦しく足並みの悪い旅路が描かれる。
多くのエピソードが示唆を与えるこの戦争は、作者も
物語を選りすぐるのに苦労したのではないか。
そう感じる5巻でした。
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[ 文庫 ]
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坂の上の雲〈7〉 (文春文庫)
・司馬 遼太郎
【文藝春秋】
発売日: 1999-02
参考価格: 670 円(税込)
販売価格: 670 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 218円〜
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・司馬 遼太郎
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カスタマー平均評価: 4.5
奉天会戦 陸戦においては、とにかくクロバトキンは全くのヘボ役者として描かれている。
司馬遼太郎の言う「クロバトキンの恐怖体質」を上手く利用して、日本軍はロシア軍を翻弄、本来であれば勝てない相手にとりあえず勝った。
この作品は本論(日露戦争)だけでなく、この戦争を取り巻く状況解説が非常に面白い。そろそろ講和の時期を探る日本に対するルーズベルトの動き、考え方などがその一例である。
この戦争を巡る周辺状況をみると、決して日本の実力だけで勝ったわけではない。喧嘩の相手も選ぶ必要がある。「敵の敵は味方」、この言葉を思い出した次第である。 奉天会戦 日露戦争における奉天会戦が一応の決着をみせます。
物量も兵士の数も極端に不足し、軍隊全体が疲れきった日本。
もはや作戦など役には立たず、ひたすら耐えて全身していく姿は、
どこか太平洋戦争時の日本を彷彿とさせます。
この戦争は勝ったというより、机上では負けるはずのないロシアが、
その官僚体制の腐敗から勝手に自滅するという幸運によって終息したもの。
これを勝利と誤解し、何事も精神力で乗り切れると誤解した所に後の悲劇が
あるのだと思うとやるせない気持ちになります。
奉天 1会戦で、両軍合わせてひとつの都市の人口に相当する兵士が
戦死した日露戦争も最終章に近づいてきた。
乾坤一擲、ぎりぎりの勝利。
日本は、人材に恵まれていたのだろう、
ロシア軍を、日本の大山のような人物がが率いていたら?
大功のみを考え、小節にかかわらないような人物が組織のトップに必要であることを
痛感します。
いよいよクライマックス 第7巻は陸戦のクライマックスともいえる奉天会戦と、日本海海戦までのバルチック艦隊と日本海軍の動向を描きます。
陸戦については、ロシア軍を率いるクロパトキンの官僚意識、軍人としての精神力の弱さにより、日本が勝利する様が描かれます。ただ、これはあくまでも局地的な勝利であり、日露戦争の勝利を意味しません。戦中でありながら児玉源太郎が帰京して終戦工作を行うなど、日本としては実力の限界まで戦ってやっとここまでの感があります。著者のいう「戦争における勝利の定義」というくだりを読んで、戦争とは終わらせるために始めるもの、ということをその国の指導者が認識していなければならないと痛感しました(始めないにこしたことはないのですが)。
途中、終戦工作に関する項では、米国やフランス、ドイツの思惑が紹介され、ヨーロッパ、米国、アジアの力関係や、他国をいい意味でも悪い意味でも道具として考える世界政策(外交政策)の様子がよく理解できる記述になっています。
また、後半は、日露戦争のクライマックスである日本海海戦に向けた日露双方の海軍の様子が描かれ、最終巻に向けて気分が盛り上がる一冊となっています。 陸戦の日本 日露戦争の陸戦で日本は勝ったのだろうか?
戦史を詳細に検証しなかった日本陸軍の過ちはここからはじまったのではないかと思わせる事実ばかりでおどろいてしまった。
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[ 単行本 ]
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悼む人
・天童 荒太
【文藝春秋】
発売日: 2008-11-27
参考価格: 1,700 円(税込)
販売価格: 1,700 円(税込)
Amazonポイント: 17 pt
( 在庫あり。 )
中古価格: 900円〜
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・天童 荒太
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カスタマー平均評価: 4
無関心への警鐘 人の死に視点をあて、世の中が他人に対して無関心になってきたことへの一面を書き上げた作品。読んでいく中で悼む人の心情・所作に不思議さを感じ入り込んでいく。雑誌記者の死の直前の人の死の描写は目の前で自分が体験しているかのように鮮明に映っていく。自分自身、死の直前には自分を忘れることのない人を求めるのだろうかと考えてしまう。
但し、終盤に書かれた一緒に旅をする女性との容易に想像できる交わりと、母の旅立ちとなる死の描写は現実に引き戻されて少し物足りなさを感じた。
自殺、孤独死。人への無関心も関係があるのだろうか。
自分が「悼まれる人」にならないとわかりそうもない 悼む人・・・彼のやっていることが死者にとって喜びになるかどうかは今の私にはわかりません。
この世の生を終え、自分が「悼まれる人」になった時にしかその答えはでないでしょうね。
自分が死んでも誰かに自分の存在を覚えておいてほしい。
でも、それが見ず知らずの人となると・・・・・ちょっと違うような。
かたくなに物事の一面だけをみて悼んでいる静人には違和感を覚えます。
自分の知らない誰かにまでも無償の悼むなんて一人間にできることではない。
唯一、これが許されるのは神だけではないでしょうか。
私には静人のようなことはできない。
でも、せめて自分のまわりの人の死は心から悼める人になろう。
生きてる者にとっても、死んだ者にとっても、それだけで十分なんじゃないのかなぁ。
静人の旅にはたして終わりはあるのでしょうか・・・。
むしろ私は静人の生き方よりも、巡子の旅立ちのほうに心を動かされました。 思う心 主人公の行う悼みの儀式については賛否両論あるかとおもいますが、亡くなつた人を忘れない
でいてあげる事はとても大事なのではないかと感じました。 どう受け入れるか…分かれる本 親族以外の死を体験していない人には難しい内容だと思う。
人とは、自分とはを問われている気がした。
主人公の静人が、悼む行為を自分なりに受け入れていく過程は、生きていく上で誰もが感じていることのように思えた。
1度読んだだけでは、自分の中に取り込めないのが実感。しまたしばらくしてまた読んでみたい。 心にわき起こるさざ波 本に出会うのも「縁」だと思う。
ふと手にした本がこの「悼む人」だった。
天童作品は初めて読んだ。
読み始めて心にわき起こるさざ波をいかんともしがたく動揺した。
死を悼む青年とその家族、そして縁した2人の人物も青年の「死を悼む」行為に心を揺らした。
青年は「死を悼む」旅の中で、その人がどんな状況で亡くなったかと言うことではなく「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたか」が人の生きた証であると思い至る。
全ての虚飾を、見栄を取り払い、唯一残されたその人の生きた証。
その人はその人に縁する人にとって「特別」な唯一無二の存在であり、そのことに触れることで「生きていた一人の人」として心に刻まれてゆく。
青年の家族(主に母)の生き様、青年に出会い、心をかき乱されながら自らの心に素直になっていく人たち。
読後感は複雑で、すっきりとはしません。
なんで・・と思える場面も多々あります。
けれども、読んでよかった。
きっと今この本に出会ったことはとても大切なことだと思える1冊です。
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[ 文庫 ]
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坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)
・司馬 遼太郎
【文藝春秋】
発売日: 1999-02
参考価格: 670 円(税込)
販売価格: 670 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 566円〜
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・司馬 遼太郎
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カスタマー平均評価: 5
このような時代もあった 司馬遼太郎先生の作品は「竜馬がゆく」に続いて二作目ですが、最高傑作との評価に違わず、素晴らしい小説でした。最後の八巻では、終わるのが寂しく、わざとゆっくり読みました。今の混沌とした将来の見えづらい時代に、何かしら示唆を与えてくれる内容ですね。
今の日本に足らないもの 本著は全8巻からなる大作です。
明治の中期から末期に至るまでの日本の一般人の生き様を、精緻に縦横無尽の筆致で描いた著者が言いたかったのは、この時代の国民性にあると思います。
明治維新後に薩長閥でなかった伊予(今の愛媛県)の若者の生き様を通じて、この時代を描いていますが、当時全盛を謳歌していた薩長に属していない人間でも必死にこの国の将来を考え、自分がなすべき役割を精一杯やりぬいた結果を見逃してはいけないと思います。
むしろ、彼らを主役に据えることで、日本全体の雰囲気がよく出ていたと思います。
世界史上の奇跡といわれる「明治維新後の日本の胎頭」は彼らなくしてなしえなかった事実です。
膨大な資料や証言を元に司馬氏ならではの洞察力というエッセンスをちりばめ、全編を通じて飽きない20世紀の日本文学の名著です。
ぜひ一読したい作品です。
バルチック艦隊撃破 本書も遂に日本海海戦で大団円を迎える。結果を知っていても8巻にわたる長編の終わりをかみ締めながら読んだ。
かみ締めるといえば、初版の解説がまとまって本巻に掲載されており、これまでの振り返りができたと感じる読者も多かったと思う。
司馬遼太郎は、戦争そのものを描くと同時に、当時の日本人像を描こうとしていたのは間違いない。恐らく、太平洋戦争における日本人との対比を考えながら、そして現代の日本人のことを考えながら・・・・。
本書がビジネスマンの間でも高い評価を得ているのは、戦中戦後の日本人が忘れかけている良き資質を思い起こさせてくれるからだと思う。
明治の指導者は、冷静で論理的、しかも外交上手。与えられた仕事場で思う存分働き、国家を強くしていく・・・・。自分たちにもそのDNAが残されているのではないかと考えると、とても嬉しくなる。
一途な精神性がうらやましい。 こんなことを言ってはいけないのかも知れないが、当時の日本人がうらやましく思えてくる。全国民と国家が何の疑いもなく、一つの方向に向いてまい進している世界。自分の人生に疑問を持って、世界を放浪しようとするような子供はきっといないのだろうと思う。
驚きなのは、これほど多くの人が海外に出て、諸外国から良いところを学ぼうとしていたこと。自身が海外に居るだけに、当時の日本人がどのようであったのか、非常に気になる。 弱者の戦略 日露戦争のときの日本は弱小国であった。そのことを日本軍は重々承知していた。そこで日本軍は弱者の戦略を使った。限界まで知恵を絞り、今までにない方法で敵を倒す。全巻を読み終わったあとは爽快感に溢れていた。
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[ 文庫 ]
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坂の上の雲〈6〉 (文春文庫)
・司馬 遼太郎
【文藝春秋】
発売日: 1999-02
参考価格: 670 円(税込)
販売価格: 670 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 434円〜
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・司馬 遼太郎
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カスタマー平均評価: 5
明石元二郎のスパイ活動 この巻は日露戦争そのものの記述もあるが、むしろ傍論の方が面白い。バルチック艦隊の苦闘や明石元二郎のスパイ活動の描写が面白い。
特に明石元二郎である。スパイらしからぬ真直ぐな態度で任務を遂行しようとする姿が、意外にもレジスタンス活動を展開する人たちに受け入れられる。同時に、大国ロシアに立ち向かう小国日本に対する海外の目が優しいことにも気づく。
専制国家は滅びる 派手な戦闘の描写こそ少ないですが、諜報や外交など戦争は戦闘だけではないことが丹念に描かれていて興味深く読めました。
もともと国力として劣勢の日本は、国家存亡をかけて全身全霊で事にあたる姿はどこか健気です。
ルーズベルトの言葉「専制国家は滅びる」通り、ロシアの官僚制度の弊害がどんどん表面化してきました。国家より自分の保身を優先するあまり、国としての機能を失いつつあります。
この甘さが、国力を超えた所にある日露戦争の結果を導いたのだろうと如何にも納得できました。
明石元二郎物語 戦いのほうは、敵の退却により黒溝台での凄惨きわまりない危地を、あっさりと脱する。
この巻では、むしろ、明石元二郎が主役といってもよいくらいのサイドストーリーが展開されます。
とにかくこの人が、興味深い人物として描かれていて、印象が深いです。
革命に与えたこの人物の影響は、本当のところどの程度なのか?
もう少し勉強したい気持ちになりました。 日露戦争のサイドストーリー 第6巻は、読むペースが明らかに遅くなりました。
黒溝台の戦いでは、ようやく好古率いる騎馬隊の戦闘が描かれるのですが、残念ながらその機動力を活かした痛快な戦闘というものではなく、馬を降りて歩兵として戦うことで圧倒的な兵力をもつロシア軍に対抗するという地味なもので少し拍子抜けしました(少ない兵力で戦うにはそれしか方法がしたのですが)。日本軍最大のピンチとなったこの戦いは、ロシア軍内部の権力闘争の影響もあり日本の不思議な勝利で終わります。いわば敵失による勝利といえましょう。
後半は、これまでの苛烈な戦闘についての描写が一休み。バルチック艦隊の遠大な航海、ロシアでの革命活動を促したスパイの活躍、軍艦マーチを奏でる軍楽隊の様子など、日露戦争に関連するサイドストーリーが語られます。戦場での戦闘ばかり読んできた4?5巻に比べ、登場人物も話題も一気に広がる印象で、読むのに苦労しました。
戦争とはおそろしい 戦争とはおそろしい。
ちょっとした気のゆるみが多くの兵士を死に至らしめてしまう。
戦争指揮官の責任の重さはとてつもなくおおきい。
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[ 文庫 ]
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夜光の階段 (上) (新潮文庫)
・松本 清張
【新潮社】
発売日: 1985-01
参考価格: 580 円(税込)
販売価格: 580 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 300円〜
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・松本 清張
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カスタマー平均評価: 3
男社会で働く女性の立場の悲哀もおり混ぜている 恥ずかしながら「栄光の階段」という書名と思って読んでいたのだった。
主人公の佐山は美容師として、独立して有名になっていく話しなのだ。
松本清張にしては珍しいなと思いつつ読んでいったのだが、どうもいつも通りの「悪いやつがのし上がっていく」話しなのだ。
これは「栄光」じゃないだろうと思って、カバーを見直したら、「夜光」だったというわけだ。
ぼくなんかが作文を書いたりするときは、タイトルにそれほどこだわりはなく、テキトーにつけることがある。
しかし、プロの小説は違うんだなと思った。書名には意味があるのだ。
その当たり前のことに、上巻1/3ほどのところで気付かされた小説なのであった。
しかし、さすがは松本清張である。
悪いやつがのし上がっていく、そんな単調なストーリーではないのだ。
1stワルの佐山に続いて、幸子が2ndワルなのだ。そして被害者は、男だか女だかわからない容貌のしかし内面は純な女のフジ子。
さらにそこに男社会で働く女性の立場の悲哀もおり混ぜている。
雅子と幸子とフジ子。
悪者であり、被害者であり、その遠因が男社会に生きていく女の生き方にあるのかもしれない。
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[ 文庫 ]
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夜光の階段 (下) (新潮文庫)
・松本 清張
【新潮社】
発売日: 1985-01
参考価格: 580 円(税込)
販売価格: 580 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 1円〜
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・松本 清張
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カスタマー平均評価: 0
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[ 単行本 ]
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しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか
・辺見 庸
【大月書店】
発売日: 2009-04
参考価格: 1,365 円(税込)
販売価格: 1,365 円(税込)
Amazonポイント: 13 pt
( 在庫あり。 )
中古価格: 1,300円〜
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・辺見 庸
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カスタマー平均評価: 5
かつてない価値観の危機に瀕した時代に、人間とは何か、どうあるべきかを問う啓蒙書 本書のテーマは、世界経済恐々の背景にある、かつてない程の人間の価値観の危機に対して我々(ローマ帝政時代のコロッセオの見物を許された者)が「人間とは何か、人間はどうあるべきか」熟考し、あるいは抗暴に訴えかけるべき時に生きているというものです。
TV放映内容が主なので、辺見さんの他のノンフィクションより読み易いと思います。TVは実家で録画してもらい海外から帰国した先月に60歳を越える母と見ましたが、政治や社会に殆ど関心が無い母でさえ、辺見さんの深く思考された上での語りに何か重要な情動が触発されていました。
今の時代、今の日本人が精神的危機(価値観の危機)に瀕しており、それを何とかしようと一般の人に問いたのは、宮崎駿の「崖の上のポニョ」であり、若者を支えようとしたのは押井守の「スカイ・クロラ」だと僕は理解しています。言論、ノンフィクションの世界においては、船井幸雄さん、副島隆彦さん、佐藤優さんらが警鐘を鳴らし続けておられますが、辺見さんの言葉と感受性は最も透徹しており、実時間において世界の位相を感じ、言葉に表現できる稀有な作家のとても重要な日本人への啓蒙の書です。
蛇足ですが、5月9日の早稲田での講演に赴き、私自身もこの危機に自分がどうあるべきなのか改めて自問自答してみるつもりです。
すばらしい力作 購入時はすぐに読んで売ろうと思っていたが、何回も熟読すべき、蔵書として所有すべき本と思い直した。
カミュの「ペスト」が何回も引用される。「ペストと戦う唯一の方法は誠実である」という言葉の凡庸さに何度も回帰し、誠実、愛、痛みと言う言葉をもっと手触りのあるものとして反芻すべきと筆者は主張する。 現代を見つめて語る書 刺激的なタイトルに引かれて手にした一冊。
今年2月に放映されたNHKの特集番組が再編成されたものである。
「2009年のいま、歴史的にはどの場所にもあてはめることがかなわない視えない奈落が広がっている。(中略)自分にはとうていやることはできないだろうけれども、ある種の本能として、いまの世界をなんらかのかたちで、必死になって表現しなければいけない。」
そんな深い思索の中から紡ぎだされたメッセ?ジ、難しい言葉使いにいささか戸惑いつつも、あくまで語り口調で、読む者の心に次々と飛び込んでくる。そして読む者を思索の世界に誘ってくれる。
まさしく読む人の内面の湖底に、著者の言葉が降りていく感じである。
現代の状況を、金融恐慌、地球温暖化、新型インフルエンザなどの外部世界での崩壊とともに、人間の内面での崩壊という、異質の破局が同時進行するいまだかつてない時代ととらえる。その内面での崩壊こそ、タイトルにある「生体の悲鳴」であり、しのびよる「破局」である。
そうした時代に、私たちはどう生きるべきか、との根源的な問いを、自らに投げかけると同時に、私たちに問題提起する。人間の内面での崩壊の「予兆」として、あの衝撃的な秋葉原事件からはじまる。
著者は、現代人の状況を“失見当識”だと指摘する。つまり、現在自身が置かれている状態を認知する能力である見当識(=オリエンテ?ション)が、なんらかの原因で障害を起こし、時間、空間、人物や周囲の状況、関係性をただしく認識する機能が正常に作用しなくなっている状態だという。
また、情報の伝達と受容の即時性に翻弄される今日の情報のデジタル化、時計化された時間によって、時間と空間を感じる力を失ってきているとも指摘する。人間は思考的な生きものではなく、反射的な有機体であることが求められる、世界と他者について反復して思索し、想いを深めていく人間的な行為、 その人間的な習慣をどこかで忘れたようだともいう。
「今日は昨日のつづき、明日は今日のつづきという慣性」
メディアが流す大量の情報の中で、表面的にはなんとか平穏な日常生活を送っている私たちへの警鐘のメッセ?ジ、
<人間の価値を貨幣の価値で測ろうとする社会・時代>への問題提起の書といえよう。 辺見庸というレンズ 2009年2月にNHK・ETV特集で放送された内容をまとめたもの。
大阪で行われた講演も収録されている。
もともと聴衆を意識したものであるためか、
語りがとてもわかりやすく、その分ダイレクトに届く。
著者の視線は、世界恐慌から秋葉原事件に渡り、
具体的な事象にふれながら、広告や資本による言葉に対する感覚の収奪、
世界と人間の生体との食い違い、それによる鈍化といった
彼なりの深い洞察に落ちていく。
辺見庸の言葉が特別なのは、
彼がすぐれた評論家や作家やジャーナリストだからではない。
私たちは、すでに習慣として、「言葉」に自分の体を賭けない。
毎日朝食を摂り、排泄し、眠るのと同じくらい日常的に、無意識に、賭けない。
しかし辺見庸は、至極逆説的にいえば、
その習慣に従うことが「どうしてもできなかった」希少な人間だ。
だからこそ読者は、彼の文章に、
最終的には登れないと分かっている崖を指で登るような衝迫を感じる。
私たちは、読むにつれて
「著者の言葉にただ賛同したり反論したりする、ただのギャラリー」
であることに耐えられなくなる。
本書は「自分たちの日常を自分の言葉で表現できなくなっている」
万人に対する、
すぐれた、そして切実な引導、スターターとしてあるように思う。
現代警鐘の書 この本は、NHK放送ETV特集を再構成、大幅補充された謂わば辺見氏のインタヴューを中心に改めて単行本化されたものである。勿論私もこの特集番組を見た。ですから、番組を見た方にはこの本は、特別真新しい内容では無いし、再確認を出来る媒体の一つに過ぎないかも知れない。ところが、今回読んで判ったのは、番組で見聞きしていた筈の内容が、自身全然「理解」出来ていなかった言い換えれば聞き漏らしていた部分が非常に多かったことである。おそらく私はこの本を1度読んでも、未だ半分も理解していないのではなかろうか・・。それほど、内容の濃い深い深刻な問題を孕んだ本なのである。
先ず読み始めて判るのは、文章漢字部分が一部の単語(語句)を除いて殆ど最小限に使われており、その分平仮名が目立つことである。これは、たいへん読み易い。辺見氏は現在右手が不自由であり、言語ツールとして携帯電話を利用していることがあるいは影響しているのかも知れない。彼は自身で「携帯依存症」だと告知している・・携帯で「文章」を綴りそれをPCへ転送して書いている・・また、現在身体的にも歩行が困難な為に毎日毎日歩く練習を繰り返し行なっている(「自主トレ」と称している)。練習をいくら行なっても良くはならないが、怠ると悪くなる。だから「徒労」とも思えるような「自主トレ」を繰り返す・・それは、辺見氏の深い「思索」に繋がっているように思えてならない。それはまるで終わり無きような繰り返し反芻するような「思索」だ・・読んでいてその執念に私は打たれた・・・
ここでは、具体的な内容紹介は省くが、現代抱えている深刻化する多くの「問題」に直面し、これからどう向き合うのか、どう考えて行くのかを示唆してくれる非常に「貴重」な内容であり本であることに間違いは無い。私もこの本を繰り返し読むことで、より「理解度」を深めて行きたいと思っている。
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[ 文庫 ]
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ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
・村上 春樹
【講談社】
発売日: 2004-09-15
参考価格: 540 円(税込)
販売価格: 540 円(税込)
( 在庫あり。 )
中古価格: 131円〜
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・村上 春樹
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カスタマー平均評価: 4
【禁忌】情緒不安定な人は読まないで! 村上春樹の他の著書は読んだことはありませんが、
作品としては優れていると思います。
が、精神的に病んでいる、または不安定な方は
絶対に読まないほうがいいと思います。
そのくらい作品の引力が強いのです。
それゆえに優れていると評価したのですが・・・
私自身がうつ病(その後、双極性障害になりましたが)を発症する直前に、
吸い込まれるようにしてこの本を手に取ってしまい、
自殺衝動に駆られるような非常に苦しい思いをしました。
私にとっては、いわば”魔の書”です。
「喪失と再生」とありますが、私には「再生」を感じられませんでした。 商業作家。ノーベル賞なんかやった日には権威が失墜 駄作とか名作とか言う前に、村上の作品には何かメッセージ性があるのだろうか。単なる商業作品ではないか。性交表現など露骨で、下品極まりない。ノルウェイの森に関して、なにも触発されることがなかったが、彼の作品のうすっぺらさの原因について他の彼の作品「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んで氷解した。ここには村上の心を支配している心象風景が描写されている。それは「箱庭」なのだ。外に出ることのない完結したちっぽけなゲシュタルト世界。それが村上だ。これでは到底、社会というものと文学というものの関連について積極的に追求したトルストイなどの大作家と同列に論ずる事はできない。売れる、と踏んだら何でもやる商業主義は、次のノーベル文学賞は村上か、とキャンペーンを張っているようだが、そんな事をしたら同賞の自殺行為である事は火を見るより明らかである。 魔の山 最近、世界に飛び出す政治的な動きで話題を呼んでいる、村上春樹の超ベストセラーである。
こんなベストセラーはもう二度と出版界に出ないのではと思えるくらいだろう。
いろいろな理解のしかたがこの作品においては可能だろうが、私が強調したいのは、主人公が「魔の山」を読みふけっている背景である。これが不治の病の治療をする病院での直子の生活とだぶっている。「ノルウェーの森」を読んで、この形而上学的入れ子構造が理解できたら、さらに複雑な応用編として、手前味噌だが、この本、「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著を読むことをお薦めしたい。フェルメール論についてのもので、村上春樹と一見すると全く無関係に思われるかもしれないが、そうでもない。なぜこの小説の冒頭で飛行機はドイツに降り立つのか。永沢さんはなぜ後年、ドイツに行くのか?その答えがこの本にある。ドイツの騎士道と言えばわかるだろう。永沢さんは悪魔的発想の持ち主なのだ。そういえば「魔の山」もドイツのトーマス・マンの作品である。読むのに多少、努力を必要とするかもしれないが、さらに進化かつ複雑化した形而上学的思考が楽しめるはずである。その上で村上春樹との共通項が徐々に見えてくる。この感覚は最後まで読まなければわからない。 駄作 エロいだけ。それでも絶賛されまくりの本なので最後は素晴らしいのかと思い頑張って読みましたが、エロいだけ。
人、死にすぎ。
キャラクタを自殺させることでカッコ良くさせている。
緑、性格悪すぎる、ただのワガママ女。
冷静、沈着、カッコ良く映しているワタナベ、結局誰とでもやる。軽い。
最後、イラつきだけ残りました。
私は好きじゃない。 人生最高の恋愛、青春小説 映画化されるということで20年ぶりに読み返してみた。
20代の頃の私が、この小説を読み、どう感じたかは記憶にないが、面白かったと言う記憶は鮮烈にある。
何事も薄っぺらで、精神性の希薄だったバブルの時代に学生活動の活発だったこの頃を舞台にした青春小説と言うのは、必然だったのかお知れない。
少し理屈っぽい主人公(しかしノンポリで中庸)の彼が、なぜか極端な登場人物と出会い、現実離れした経験を経て、現実世界に根を下ろしてゆく。
若年期特有の恋愛に対する理想と恐れを恋人との擬似恋愛を通して経験し、社会に対する恐怖や、人間関係に対する考慮や、思いやりや人生を年長の登場人物から学んでゆく姿は、哲学書の赴きもある。
性描写もファンタジックで現実味をかけ離れており、少しも不快感を与えるものではない。
最後に、少し風変わりであるが、地面にしっかり足のついた女性と現実世界に根を下ろすことになる主人公は、少年期を過ぎ、社会で生きてゆく決意をしたようにうつる。
登場人物の台詞には、多くの金言が含まれており、絶大な説得力を持っている。
久々に、読み終わることが残念で仕方のない作品であった。
この後の主人公の人生を垣間見て見たい。
万人にお勧めできるとは思わないが、個人的に夢中になった作品である
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